台湾神社復原動画について
日治時代の台湾に総鎮守として造られた官幣大社台湾神社は台北市北部郊外の剣潭山の山麓に位置していた。明治33年(1900)9月18日の創建で、翌34年10月27日に鎮座祭が行われている。社殿敷地は剣潭山の稜線部分に3段の敷地を造成し、中心軸線上の奥の上段に本殿・祝詞殿、中段に拝殿を置き。下段には軸線の両側に手水舎・社務所・神饌所・祭器庫を振り分けて配置していたようである。それらの様子は創建当初の「台湾神社造営誌」(『台湾日日新報』、明治34年10月28日)に収録される配置図や『官幣大社台湾神社境内之図』(本データベースID2210)などから伺うことができる。とはいえ、敗戦後神社が廃絶され、その跡地には、巨大な圓山大飯店が覆いかぶさるように建設されたため、かつての様相を知ることは極めて難しい。
そこで、上記資料や古写真などをもとに3Dで、台湾神社の復原を試みた。しかし、正確な図面類はなく、建物の平面的規模がわかる程度で、高さ方向については皆目データがない状況での復原である。古写真とともに、神明造と建築様式がわかる本殿・祝詞殿・拝殿などは神明造の事例を参考に起ち上げたものである。遠景程度にしか写されていない社務所などの建物については、上部構造がよくわからないため、平面形のみで示してある。それでも復原により、ある程度の雰囲気は伝えられているのではないかと考えている。地形が地形図の等高線のままになっているため段差があるように見えたり、古写真によると本殿背後や境内周囲は樹木に覆われているが3Dでは殺伐とした地形剥き出しのごとくであるなど改良すべき点や修整すべき点が多いと思われるが、あえて公開しご批判を仰ぐことにした。誤りや正すべき点などご批判、ご意見をいただければ幸いです。
なお、この3Dの作成は津田の指導のもと神奈川大学建築学科4年生の田中秀明・長林豪が作成した。したがって、不備や誤りについてはすべて津田の責任である。
津田良樹
2012年3月